激情の終着点・5 羽を有した黒犬を追いかけるため、また暗黒神の情報を得るため、神鳥レティスを探すのが当面の目的となった。暗黒神もいたのだから神鳥くらいいるでしょ、というのがゼシカの言い分。確かに、それを否定する材料は何処にもない。むしろその存在を示す手がかりをメディが守っていた祠で見たばかりだ。 とりあえずの情報を求めてやってきた場所はサヴェッラ大聖堂。あわよくばそこにいるという法王に会いたかったのだが、さすがに簡単に会える相手ではない。彼は一般人が立ち入ることのできない、はるか上空にある館に住んでいる、という。 法王の代わりにもならないが、会いたくもない人間に鉢合わせし、ククールの機嫌は最悪だった。あからさまな嫌味に腹を立てている自分もどうかと思う。 隣で素直に怒っているゼシカを見やって己を宥め、数度深呼吸。 分かっていたことだ、彼の中で自分がどんな位置にいるのか、など。それを今更直接言われた程度で動揺してどうする。 何度かそう言い聞かせ、表面上でもポーカーフェイスを保とうと努力していたところ、不意に横から腕を引かれた。こういうことをするのは一人しかいない。どうせまた変なものを見つけたのか、理解できない光景を見るかしたのだろう。そういうとき、なぜか彼はククールに解説を求める。オークニスでの教会のように。 「今度は何?」 ククールがそう尋ねると、エイトは無言のままつ、と腕を上に上げる。彼が指差す先には大聖堂へ向かって膝を折り、祈りを捧げる人々の姿。 「……お前、教会で祈りを捧げる人、見たことないのか?」 そんなはずはない。ここに来るまでに何度も教会に立ち寄ってきたし、何より彼らはククールがいたマイエラ修道院も訪れている。ククールの言葉にエイトは「いや、あるけど」と口ごもる。そして何度か口を開閉させたあと、ようやっと決意が固まったらしい。 「前からちょっと不思議だったんだけど、何で皆祈ってるの?」 何故、と問われても、想いは人それぞれで一概に言うことはできない。 「そうねぇ、たとえばほら、喧嘩した友達と早く仲直りできますように、とか。お母さんの病気がよくなりますように、とか。そんな願いをかなえてもらいたいんじゃない?」 エイトとククールの会話を聞いていたゼシカが、横からそう口を挟む。 「ま、実際にゃ神なんていやしねぇでげすから、叶えてもらえるはず、ねえんでげすがね」 「叶えてもらえないのに何で祈るんだ?」 ヤンガスの言葉に、更にエイトが首を傾げた。 「人ってのは時には何かに縋りたくなるからだろ。一人で立つのが辛い、側に寄りかかれる人間もいない、そういうときに神へ縋る」 それが悪いことであるとはいわない、縋ることでその人物が救われるのなら全然問題はない。そう言ったククールに、ゼシカが「それにもしかしたらいるかもしれないじゃない、神さま」と続けた。 「もしいたらエイトだって祈るでしょ? 『幸せにしてください』って」 人々の祈りの根源はすべからくそれだ。つまりは皆、幸せになりたいのだ。 ゼシカの言葉に少しだけ考えて、エイトは首を横に振った。 「別に祈らないけど」 彼の答えにゼシカは「欲がないのね」と笑っていたが、ふとククールはエイトの声と表情に違和感を覚える。そして思う、ああ違うな、と。 彼に対し何度「違う」と思ったか知れない。それでもこういう彼を見るたびに「違う」と思う。 何がどう違うのか、分からない。 それでも歴然とした違和感が存在している。 たった今まではそれが、エイトが感情に無自覚であることからくるものだと、そう思っていた。しかし今のエイトの声を聞いて、本当にそうだろうか、と考え直す。 もしかしたら、何か別の問題が彼にはあるのではないだろうか。 そんな漠然とした疑問は大聖堂から吹く風に、さらり、と流され、結局形さえ捉えきれぬまま霧散してしまった。 「幻の」とか「伝説の」といった言葉が掛かっているものは、ほとんどが眉唾である。しかし中には本物も隠れているわけで、どこでそれを見分けるのかといえば実際に見に行ってみるほかない。 大海賊が残したという宝がどこかに隠されているらしい。他に神鳥への手がかりもないため、とりあえずそれを目指そう、という話になり、その日はいったん大聖堂で宿を取ることになった。メディの一件以来一人部屋を取ることが続いている。 人の命というものはとても重く、それが好いた人間であればあるほど心へ圧し掛かってくる。数日でそれを克服できる人間などいない。エイトはその辺りを考えて、一人部屋を取っているのかもしれない。 大聖堂の麓であるため、小さな商店以外これといったものもなく、もちろん酒を飲みに行く場所などない。唯一の場所が宿の中の食堂だが、そのような場所で飲む気にはなれず、結局は大人しく部屋で休むことになる。それでもいいか、と思えるのは、やはりまだククール自身、メディの死から立ち直れていないからかもしれない。 ** ** 「つーか、もうちょっと具体的な場所が分からないことには無理じゃないか?」 「でも、海賊ってことは海から直接行ける場所だろうし、だとしたら川を遡ればいつかは見つかる」 船でのぼれる川はそんなに多くないし、とエイトが地図を見ながら言った。 海を撫でる潮風がエイトのバンダナとククールの銀髪を揺らす。船の行く先はトロデーンのある大陸。川をのぼったところにその大海賊は宝を隠しているらしいのだが、どの川なのかが分からない。とりあえずサヴェッラから一番近い大陸がそこだったのだ。 もともと何処にいるとも分からない存在を追いかけている旅だ、川の側ということが分かっただけでも十分だと考えるべきだろう。 手すりに背を預けてククールは思う。 「相変わらずこの船は分かんねぇよな」 ククールの呟きに、地図をカバンへしまいながらエイトが首を傾げる。 「だってさ舵はある、操舵室もある。一応方向はそれで操作してるけど、風がなくても動くし、だからつって誰か漕いでるわけでもないし。どうやって動いてるんだ?」 「古代の神秘」 「『神秘』って言っときゃ済むと思ってるだろ、お前」 「寧ろ『古代の』って付けときゃ、何でもいける気がする」 「そっちかよ」 呆れたククールにエイトは「古代の遺跡、古代の城、古代の砦、古代の武器、古代の鬼ごっこ」と指折り挙げている。 「最後のが滅茶苦茶気になるな」 さして気になってもいなさそうな口調の言葉に、エイトは「どこかの遺文にルールが書いてあるに違いないな」とやはりどうでも良さそうに答えた。 船は海を滑るように進む。潮風は気持ちよく、日差しが強いことを除けば快適の旅。これで目的地さえ、もう少しはっきり分かっていればな、と考えながらククールは、先ほどと同じような口調で「なあ、」とエイトを呼んだ。背を手すりに預けたままなので、視線は海ではなく空を捕らえている。抜けるような青空。そういえば、エイトは空が嫌いだったのではないだろうか。 「お前さ、幸せになりたい、とか思わねえの?」 昨日から気になっていたこと。「エイトだって祈るでしょ?」というゼシカの問いに、彼はあっさり首を横に振った。 人間誰しも、幸せになりたいという普遍的な欲求をもっているものではないのだろうか。 「いや、っていうか、『幸せ』って何?」 そうくるか、とククールはかくり、と頭を下げる。いや、エイトの場合そういう疑問を返されることも想定しておくべきだった。 「そりゃあれだ、人によって違うだろ。好きな人と幸せな家庭を築くとか、たくさん友達が欲しいとか、働かずに楽して生きるとか、おいしいものをたくさん食べるとか、綺麗な服を着るとか、猫飼うとか」 適当に考えながら吐き出した言葉に「ふぅん」と声を上げたエイトは、隣で小さく肩を竦めたようだった。 「どれも俺には関係、ない、よ」 内容如何より不自然に途切れた語尾を訝しく思いエイトへ視線を向けると、彼は額を押さえてうつむいていた。 「エイト?」 「や、ちょっと、ぐらっと……」 眩暈がした、ということだろうか。よく見ると顔色もあまり良くない。日に焼けないククールとは違い、エイトは基本的に健康的な肌色をしている。それが今は血の気が引いたような白さ。 「お前、中入って休ん……っ!」 ククールの言葉は最後まで紡がれることがなかった。ふらり、と傾いたエイトを慌てて支え、その場へ横にする。 「おい、エイト、エイト!?」 名を呼びかけるが反応はない。口元と喉へ手を滑らせ、呼吸と脈の確認。どちらも異常はないように思える。熱もない。汗をかいているということもない。何かの病気、だろうか。だとしても症状がなさすぎる。それについ先ほどまで普通にしていたではないか。 ここで考えても仕方がない、多少の知識がある程度でククールは医者ではないのだ。とりあえずぐったりとしているエイトを抱えて船室へ戻ると、仲間たちへ一旦サザンビークへ戻ることを提案した。エイトの状態を見てそれに反対する人間などいるはずがない。 運びこんだ宿へ呼んだ医者の診断は、「疲労によるものだろう」ということで「ぐっすりと眠っていらっしゃるのでしばらくは休ませてあげてください」とのことだった。 大事がなかったということに安堵をしつつ、ここ最近倒れるほど彼が無理していたのかということに驚きを隠せない。どちらかといえば余裕のある日程が続いていたと思っていた。野宿をすることもなく、宿でも一人でゆっくり休めていたはずなのに。 「エイト、あまり眠れていなかったのかもしれないわね」 とりあえずエイトをヤンガスに任せ、ゼシカと二人で、町の外で待つトロデ王のところへ報告へ行く途中、宿を出ながらゼシカが頬に手を当ててそう言った。そして「私も、チェルスさんのこととか考えるとたまに眠れなくなるもの」と泣きそうな顔で続ける。 防げたかもしれない惨事を思い、眠りから遠ざかってしまう。確かに考えられないことではない。とすると、エイトはメディが死んだあの日からろくに睡眠をとっていなかった、ということだろうか。 どうして気づかなかったのだろう、とククールは奥歯を噛み締める。エイトは大丈夫だろう、と心の中で勝手に思い込んでいたのかもしれない。もし本当にあの日からあまり眠れていなかったのだとしたら、行動の端々にそれが現れていてもおかしくはなかった。注意して見ていれば気づけたかもしれなかったのに。 軽い後悔に襲われながら結果をトロデ王へ伝えると、彼は小さく溜息をついて「治ったと思っておったのじゃがの」と呟いた。それを聞きつけたククールが、どういうことだ、と眉を上げる。 それにトロデ王はもう一度溜息をついて、愛娘の鼻筋を撫でるとぽつぽつと語り始めた。 「いや、どうもエイトは昔からあまり眠らない子供じゃったんじゃ。あれが城へ来てしばらくはよく倒れておった。わしもミーティアも心配しての、医者に見せるんじゃがただ眠っておるだけで、異常はどこにも見つからなかったんじゃ」 突然倒れるが、ただ眠っているだけ。今の彼の状態とほぼ同じではないか。 その思いが顔に出ていたのだろう、二人を見比べたトロデ王は軽く頷いてから言葉を続ける。 「あまりにも頻繁に倒れるもんじゃから、一人、エイトの側に人を付けた。そやつに四六時中一緒にいてもらうようにして分かったんじゃが、エイトは夜、眠らないんじゃよ。ただずっと起きておったらしい。それを続けるもんじゃから、体が限界を訴え突然眠りに入るのだろう、と医師は言うておったわい。きちんと夜に眠るようにさせたらそれっきり治まったから、もう治ったとばかり思っておったのじゃが」 トロデ王の告白に、ゼシカとククールは思わず顔を見合わせる。 確かにこの間メディの家でも話が出た、エイトは睡眠に対する欲求があまり見られない、と。眠たそうにしている場面を見ることがほとんどなかった。 あの時はそう、「眠そうだな」というククールの言葉に彼は「それだ」と答えていた。ゼシカは「眠いかどうかくらい分かるでしょ」と呆れていたが。 やはり彼には分かっていなかったのだ。 ←4へ・6へ→ ↑トップへ 2006.09.07
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