キミの笑顔 ― color ― 2


 一度だけなら、とエイトは思う。
 一度だけだったらただの過ちで済んだだろう。エイト自身酔うことはないが、あのときはずいぶん飲んでいたし、ククールだって強いとはいえ酔うこともあるだろう。酒の勢いを借りた一夜の過ち。こういってはなんだがよくある話だし、それこそククールにとっては日常のでき事でしかなかっただろう。
 しかし、何故か分からないがそのあとも何度か体を繋げてしまっている。「体の相性がいいんだな」とククールは笑っていたが、ただそれだけで何度もしてしまうものだろうか、とエイトは思う。
 性欲は食欲、睡眠欲に並ぶ三大欲求。特に男はどうしても欲望に逆らえないときがあるし、誘惑に弱い。受け入れる側であるということに羞恥も抵抗もあるが、一度味わったあの快楽を思うとそれでもいいか、と思ってしまうのだから自分でも呆れるしかない。
 きっとそこには肉体的な快楽だけではなく、精神的なものも関係あるのだろう。

 一度目のとき、エイトはひどく弱っていた。ずっと、それこそ幼い頃から想いを募らせていた相手に間接的に振られたも同然の状態で、それでもまだ好きだ、と思ってしまう自分の心にうんざりしていた。想っても想っても報われない。優しい言葉も温かな笑みも返してもらえるが、その裏にある感情は自分が求めているものとはまったく違うもので、これならば一層手ひどく嫌われた方がまだマシなのではないだろうか、とさえ思う。

 あの手で触れてくださるから。
 あの声で名前を呼んでくださるから。
 だから、もしかしたら、なんて考えてしまう。
 まだ望みがあるのではないだろうか、なんて考えてしまう。
 そんな期待など抱くだけ無駄だというのに。

 ククールはきちんと伝えてみなければ分からない、とそう言ってくれていたが、エイトには分かる。言わなくても分かる。
 彼女にとってエイトは飽くまでも臣下。人間として、男として興味を持ってくれることは万に一つでもないだろう。

 必要とされていない、その事実がエイトの心を深く抉る。

 もともとエイトはトロデーンに拾われた人間だ。家族など言葉でしか知らず、具体的に想像もできない。仲の良い人はたくさんいたし、兵士仲間ともうまくやってきてはいたが、それでもおそらく普通に生きている人々より他人との繋がりは薄い。もっとも根本的な家族という関係がエイトには欠けているのだから。
 だからこそ、だろう。幼い頃からずっと一緒にいてくれた彼女を大切に想うようになったのは。

 始めは家族としてだと思っていた。さすがにそれは不敬すぎると、物事が理解できるようになり、今度は臣下として慕っているのだと思い直した。だが、それだけでは治まらない何かがある。できるだけ目を背けてきていたが、城が呪われ彼女と彼女の父王が呪われ、旅に出てようやく認めた。認めざるを得なかった。

 一人の女として、彼女を好きなのだ、と。

 一国の姫へ恋をする兵士など、悲劇にしか出てこない。いやむしろ喜劇なのかもしれない。己の立場もわきまえず、厚顔にもほどがある。こんな人間が、どの面を下げて王へ恩返し、など言えるのか。
 この感情は誰にも吐き出せない、そう思っていた。
 人に知られぬよう、己の中で隠しとおすしかない、と。

「ほんと、ククールって、優しすぎ……」

 ぼそり、と呟いた声は真っ白いシーツの中へ吸い込まれていく。行為が終わると大抵エイトは意識を飛ばしかけており、後始末などすべてククールがやってくれる。気が付いたときには体を拭われ、綺麗なシーツにくるまれていることが多い。
 今もまさにその状態。耳を澄ますと水音が聞こえるため、ククールがシャワーでも浴びているのだろう。できればエイトも汗を流してさっぱりしたかったが、残念ながら一人で動けるような状態ではない。体の痛みはないため回復魔法をかけてくれているのだろうが、普段取らない体勢をするせいか関節が軋み、腰から下にはうまく力が入らない。
 心地よい疲労感は次第に睡魔へと変わり、ぼんやりとした頭でエイトは考える。

 本当にククールは優しい。
 他人の恋愛話など聞いても面白くもないだろうに、真剣に耳を傾けてくれた。エイトの感情を否定することなく、当たり前のことだろう、とそう自然に言ってくれた。それだけでどれほど救われたのか、彼は知らない。
 ミーティア姫への想いが叶わぬものとなり、ひどく折れたエイトの心が彼によってどれほど支えられたことか。
 自分が望む形では必要とされていないと知ったとき、もう自分は誰にも必要とされていないのではないだろうか、とそう思った。兵士として、仲間として、エイトの力を頼ってくれる人はいるだろう。しかし、欲しいものはそれではない。一人の人として愛してくれるような、そういう意味で必要としてくれる人はいないのではないだろうか、と。
 記憶も家族もない、生まれ故郷すら分からない。こんな自分を愛してくれる人はいないのではないだろうか、と。

 そう思うと寂しくて、心細くて、いてもたってもいられなかった。
 誰でもいい、誰かに必要とされたかった。
 たとえただの慰めであったとしても、あの夜、初めてククールに抱かれたとき、その暖かさにどれほど安堵したか。それは今までエイトが得たことのない感情で、このまま何も考えずにいられたらどれほど幸せだろうかとさえ思った。
 心の底から安心できる場所のないエイトは、確かにその一瞬はククールの腕の中に安らぎを見出していた。




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2008.04.23