キミの笑顔 ― color ― 5


 途中で雪崩に巻き込まれるなどという、笑えないハプニングに見舞われつつ、なんとか無事に雪の町へとたどり着く。オークニスという名のその町は半分以上が地下に埋まっており、まるで迷路のようにそれぞれの家が道で繋がれていた。

「迷う自信がある」

 胸を張って言い切ったエイトへ、ククールが呆れたようにため息をついた。そして荷物からメモ用紙を取り出すと、何かを書いてエイトに差し出す。

「『住所:トロデーン、名前:エイト』…………迷子札?」
「当たり」

 にやり、と意地悪く笑ったククールに、エイトはメモ用紙をぺしっと投げつけた。

「そこまで子供じゃねぇし! つか、俺の名前のスペル間違ってるし!」

 自分が投げつけた紙を拾い上げてエイトはかりかりとペンを走らせる。

「『eito』じゃなくて『eighto』だ!」
「最後の『o』、いらないんじゃね?」

 始めにわざと間違えて書いたのであろうククールが、冷静にそう指摘する。メモ用紙をしばらく睨んだ後、エイトは悔しそうに唇を尖らせて最後の『o』の文字をぐしゃぐしゃとペンで潰して消した。

「あー、はいはい、よく書けました。偉いわねー、エイトくん。偉いついでに宿泊帳の記入、よろしく」

 名前間違えちゃ駄目よ、とゼシカに言われ、「もう間違えねぇよ!」と怒りながらエイトはカウンタへ向かい、宿泊帳へ名前と人数を書き込んだ。

「ツインを二部屋でいいよな」

 振り返って尋ねると、皆がそろって首を縦に振る。雪国用の装備を整えるための買い物で思わぬ出費があり、経済的な余裕はあまりないのだ。
 ジャンケンで部屋割りを決め、それぞれの荷物を持ってあてがわれた部屋へ向かう。

「本当に暖かい」

 地上に比べ地下の廊下は幾分暖かかったが、部屋の中は更に暖められており、ここが雪国であることを忘れてしまいそうなほどだった。感激の声を上げたエイトの隣で、ククールも「意外に快適そう」と感想を口にする。

「うし、俺は風呂入って寝る。何か寒いと眠くて仕方ないからさっさと寝る」

 ぽいぽい、と荷物をベッドの上へ放り投げてそう言ったエイトへ、「確かにお前眠そうにしてるもんな」とククールが笑った。

 口にした言葉は嘘ではない。どうしてかこの北の大地へ足を踏み入れて以来、眠気が常に付きまとう。それで戦闘に支障がでるほどではないが、眠れるのならその場で眠ってしまいたいという思いはあった。どうやら今まで知らなかったが、エイトは寒さに弱いらしい。
 くわ、と欠伸をしながら汗を流し、適度に体を温める。さっぱりしたところで部屋に戻ると、ククールは出かけるつもりなのか、部屋着に着替えてさえいなかった。

「ちゃんと髪の毛乾かして寝ろよ、風邪引く」

 そんな母親のようなことを言いながら部屋を出て行こうとする。思わず彼を追いかけてしまう視線から何を読み取ったのか、「色男としては初めて来る町の美女をチェックしておきたいんだよ」と言ってきた。

「……迷子札、書いてやろうか?」

 そう提案すると「いらねぇよ、お前じゃあるまいし」という言葉が返ってくる。

「っていうかお前、オレの名前のスペル、覚えてないだろ」

 そう言うククールへ「失礼だなお前は!」と、手にしていたタオルを投げつけた。それは笑いながら閉められた扉に当たってぱさり、と床に落ちる。
 彼の消えたドアの方を見ながら、エイトは思う。

 いつもどおりに会話、できてたかな。

 何か変なことを言っていないだろうか。変な顔をしていなかっただろうか。
 ここのところ、ククールと話をするときはいつもそのことばかり考えている。
 ククールはいつもどおり笑って、言葉を返してくれていた。ならばきっと、自分もうまく笑えていただろう。

 ぱたり、とベッドへ倒れ込み、主のいないもう片方のベッドへと目を向ける。綺麗に纏められた荷物がちょん、と乗っているだけのその光景はいやにもの寂しくて。

「……もう、抱いて欲しいなんて言わないのにな」

 温もりが欲しいなんて言わないのに。
 慰めて欲しいなんて言わないのに。
 弱さはもう、見せるつもりはないのに。
 だから部屋にいて欲しい。
 側にいて、ただ話をして欲しい。笑って欲しい。

 そう思うことさえ、弱さなのだろうか。
 もうエイトには、何が強さで何が弱さなのか、よく分からなくなっていた。

「……髪、乾かさないと」

 力のなく呟き、起き上がって床の上に落ちていたタオルを拾い上げる。ここで風邪でも引けばまた心配されるかもしれない。そういう要素はすべて排除しなければならない。
 今エイトにできることはそれだけだ。


**  **


 それは偶然、だった。もしかしたら、なんて思いがほんの少しばかりあったけれど、本当に偶然。
 眠気はあるのに中々寝付けなかったため、寝酒でもないか、と宿屋のカウンタへ向かったエイトの目に、見覚えのある鮮やかな赤いマントが映りこんだ。

 そちらを見ては駄目だ、と誰かが頭の片隅で叫ぶ。
 しかしその声とは裏腹に、エイトの視線はゆっくりとそちらへ向き、そして見てしまう。
 女性の腰に手を回して抱き寄せ、笑みを浮かべている彼の姿を。
 二人ともこちらには気付いていないようで、寄り添ったまま薄暗い廊下を歩いていく。おそらく彼女もこの宿の泊り客なのだろう。時折囁くように何かを言っては互いに笑い合っている。エイトが好きだと思ったあの笑みではないが、それに近い優しげな微笑み。しばらく見ていなかった彼のその表情に、つきり、とどこかが痛みを訴える。

 これ以上見ては、駄目。
 そもそも人の逢瀬を覗き見るなど趣味が悪すぎる。
 色々な思いを振り払って背を向けようとした瞬間、重なる二人の唇に、エイトは目を見開いた。

 それはとても当たり前のこと。
 今まで考えもしなかった自分がおかしいくらいに、当たり前すぎること。
 足音や気配を殺すなど、エイトにとっては造作もないことで、二人に気付かれないうちにエイトはするり、とその場を後にした。
 部屋に戻りベッドに倒れ込んでシーツに包まる。
 柔らかく笑う彼の顔が、腰に回された腕が、重なる唇が、頭から離れない。

「そう、だよな……」

 体の関係はあったが、それはククールの優しさにエイトが甘えていただけで、彼のあの腕は、胸は、温もりは、声は、言葉は、唇は。

「俺ものじゃ、ない」

 ククールが慰めでエイトを抱いていたことなど、分かっていたつもりだった。
 しかしそれでも、彼が他の女を抱き、口付けをしていたところを見て、ひどくショックを受けている。
 そんな自分がエイトには信じられなかった。

「だって別に、ククールと恋人ってわけじゃないし、そもそもあいつは女が好きなんだし、俺とやったのだって俺を慰めるためだし、だから、だから……」

 あの腕や唇が触れる相手は自分でなくても、いいわけで。いやむしろ、自分以外に誰か大切な人がいるのが普通で。

「何で、こんな」

 気持ちになるのだろうか。

 誰に聞けばその答えを得られるのかが分からず、エイトはただぎゅう、と目を閉じるしかなかった。




4へ・6へ
トップへ

2008.04.26