キミの笑顔 ― color ― 6


 周囲に漂う暗闇を認識し、同時にこれがいつもの夢であることに気が付く。どうやらあのまま眠ってしまったらしい。それでいい、とエイトは思う。どうせ考えたところで何か分かるわけでもないだろう。それよりもまず、しっかりと睡眠を取り明日いつもどおりに振舞うことのほうが大切だ。

「エイト」

 優しく自分を呼ぶ声。以前は聞くだけで胸が張り裂けそうな想いに駆られていた。

「姫殿下」

 振り返ると、いつものように優しげな笑みを浮かべた彼女の姿。すべてを許し、すべてを慈しむまるで聖母のような彼女。

「お久しぶりです。あまり泉にお連れできず、申し訳ございません」

 膝をついて頭を垂れる。もちろんそのことで彼女が不平不満を言うなど、思っていない。しかし、それでも申し訳ない、という気持ちは伝えたかった。
 エイト、ともう一度名前を呼ばれ、ようやく顔を上げる。

 真正面に立つ、ミーティア姫の姿。
 こんなにもしっかりと目に治めたのはいつ以来だろうか。

 エイトはぼんやりと考えた。
 彼女を好きだと自覚してから、まともに見ることができなかった。そんな邪まな想いを抱いたままでは、視線だけで彼女を汚してしまいそうで怖くて見ることもできなかった。
 それがこうして視線を合わせられるようになったのは、やはり彼のおかげ、なのだろう。

「お気分は如何ですか? お寒くはないですか?」
「いいえ、大丈夫よ、エイト。ヌーク草と言ったかしら。あの薬草はすごいわね。ほんの少ししか食べていないのに、ずっと体がぽかぽかしてるの」

 そう答えてふふふ、と笑ったミーティアは、しかしすぐに表情を曇らせてエイトを見つめる。その視線に「なに、か?」とエイトが首を傾げた。

「エイト、最近何かありましたか? あまり元気がないように、見えます」

 心配そうに胸に手を当てて彼女は言った。
 その言葉にどきり、とエイトの心臓が跳ねる。

 彼女にも分かるくらい、はっきりと落ち込んでいただろうか。それはまずい、それは駄目だ。落ち込んでいることを悟られたら、また前と同じように。
 伸ばされた手の心地よさを知ってしまっているエイトは、自らでそれを振り払うことができない。
 彼の負担を考えればそうするべきなのに。
 自分から拒否ができないのだから、彼が心配する要素をすべて排除してきたというのに。

 ぐるぐると思考の渦に入り込んでしまったエイトをミーティアの声が呼び戻す。

「エイト、ミーティアには隠さないでください。ずっと一緒に育ったのですよ? 隠されても分かります」

 きっぱりと言い切られ、エイトは考える。
 彼のいる場所ではきちんと自分を取り繕ってきたはずだ。何かに気付かれている、ということはないだろう。しかし、こうして彼女に分かるほどに落ち込んでいるということは、そのうち気付かれてしまう可能性もある。
 それならば、とエイトは腹を括った。
 彼女にこういう話をしたくはないが、それでも吐き出してしまえばまた少し楽になるだろう。以前ククールに彼女への想いを語ったときと同じこと。少しだけ楽になれば、またあとは苦しい思いを隠してしまえばいい。そうすればきっと心配をかけることはない。

「……ある人の優しさに、甘えすぎたのかもしれないんです」

 静かに瞳を伏せ、エイトはぽつりぽつりと言葉を口にした。

「自分が精神的に弱いばかりに、その人に頼って、甘えて、負担ばかりかけてしまいました。もしかしたらそのせいで……」

 ここから先は考えるのが怖くて今まで避けてきた。それでも、今ここでその事実と向かい合わなければ、きっとまた弱さを見せてしまう。甘えようとしてしまう。

 そう考え、エイトは眉を寄せ、苦しげに吐き出した。


「その人に、嫌われてしまったのかもしれないのです」


 だって彼は、もうあの笑みを見せてくれない。
 だって彼は、もう触れようとしてくれない。
 だって彼は、もう抱いてくれない。

 嫌われないように、とそう思ってきたが、もしかしたらもう手遅れなのかもしれない。
 怖くて考えていなかったが、その可能性だって否定はできないのだ。
 今にも泣き出しそうなほど表情を歪めてそう言うエイトを見つめていたミーティアは、ふ、と柔らかな笑みを浮かべて言った。

「エイトはその方に恋をしているのですね」

 一瞬、その意味が捉えきれず、エイトは首を傾げる。

 彼女は今、『恋』と言っただろうか。
 それはエイトが彼女に対して抱いていたあの想いのこと、だろうか。

「で、も、その、相手は男、です、よ?」

 途切れ途切れにそう口にすると、ミーティアは「あら」と驚いたように目を丸くした後、「じゃあ違いますね」と己の言葉を否定した。

「同性とは恋愛できませんものね。でもエイトがその方を本当に大切に想っていることは、分かりましたわ」

 彼女の言葉が耳を素通りしていく。

 違う?
 本当に違う?
 この想いは恋では、ない。
 彼女に対して抱いていた想いとは違うもの。

 ……それは本当に?




5へ・7へ
トップへ

2008.04.27