キミの笑顔 ― monochrome ― 3 「……………………ヤンガスと?」 ククールは十分間をおいてからそう尋ねる。こちらを向いたエイトが「ヤンガスから離れろよ」と頬を膨らませた。その顔にくすりと笑みを零して口を開く。 「でも意外だな。エイトの口から結婚とかって単語が出てくるのは」 「お前だってそうだろ。結婚とかしなさそう」 ああ、まずいな、とククールはグラスを傾けながら頭の片隅で思う。この話の流れはまずい。どこかで方向を反らさないと、きっと聞きたくない話が出てきてしまう。言う必要のないことを言ってしまう。 そうは思うが、それでもどうすればいいのか分からず、ククールは徐々に飲むペースを速めていった。 「オレはいいんだよ、別に。僧侶だしな」 「酒飲みながら言う台詞じゃねぇな」 エイトの突っ込みに、確かに、とククールは笑う。 「俺の場合はさ、なんつーか、しないとやばいっていうか。こう、ほら、結婚ってあれじゃん、なんか、一つのゴールみたいじゃん」 よいせ、と体を起し、再びグラスに手を伸ばしながらエイトは言う。 「トロデーンに拾われて育ててもらって、兵士って仕事までもらえて。あとは『幸せな家庭』を築けばいいなかな、って思う」 かわいい嫁さんを貰って、城下町の片隅に小さな家をひっそり建てて、二人か三人くらい子供がいて。そんな家庭を築くことができれば、きっとトロデ王も安心してくださるだろう。 そう言うエイトに「なんか、義務っぽい結婚だな」とククールが端的に表現した。 「うん、でも俺、多分できるし、それ」 こくり、と頷きながらエイトは答える。その言葉にそうだろうな、とククールは思った。きっとエイトはそれぐらいやってのける。彼の場合自分の感情よりまず、トロデ王への恩義があるのだ。最優先するべきことはそれで、それ以外はいくらでも捨て去ることができる。それをククールはよく知っていた。 「あとはまあ、そうしなきゃやばいって、いうのがちょっと、ある、かな」 並々と注いだ酒を一気に飲み干した後、小さく音をさせてグラスを置いたエイトは呟くようにそう言葉を吐き出す。さすがに二杯連続でストレートは、いくら酔わないとはいえ胃が辛いだろう、とククールは用意していたオレンジジュースで割った酒を作ってやった。 「その『ヤバイ』ってのはどういうこと?」 エイトの話を聞く限り、きちんと人として生きていくこと、その姿を見せることがトロデ王への恩返しだと思っている節がある。そうしたい、と思うことは分かるが、それができないといけない、とまではいかないだろう。 ククールの言葉に、エイトはうー、と唸って、もう一度一気にグラスの中身を飲み干した。そしてククールのほうへ視線を向けると、「ククール、お前も飲め」と酒を勧める。 「とりあえず飲め。俺も飲む。で、酔え。俺も酔う」 「や、お前酔わないじゃん」 「いや、酔う。酔って今から記憶をなくす。だからお前も酔え。酔って、今から俺が言うことを全部聞き流せ」 ああ、なるほど、とククールはうっすらと微笑んでグラスを空けた。同時にエイトが酒瓶を傾け、再びアルコールを注ぐ。 「ストレートはあんまり好きじゃないんだけどな」 苦笑を浮かべながらもそれを手にし、ゆっくりと口付けた。エイトのように豪快にとはいかずとも、それでも確かにグラスを空けていくククールに満足したのか、エイトはよし、と小さく頷く。自分のグラスへも同じようにストレートの酒を注ぎながら、エイトは「絶対に記憶にとどめるなよ」と念を押した。 分かった分かった、と笑いながら答えるが、それは無理だろうな、とククールは心の底で思う。今彼が予想していることをエイトが口にするならば、きっと忘れられないだろう。 できれば外れてもらいたい予感ではあったが、残念ながらこういう場面でククールの勘は外れない。「俺さ」と呟いたエイトは、静かに目を閉じた後、噛み締めるかのようにその想いを言葉にした。 「ミーティア姫が、好きなんだ」 考えなかったわけではない。相手が誰であるにしろ、エイトに好きな人がいる可能性をまったく考えなかったわけではない。もし仮にエイトの口からそれを聞いたとき、自分はかなりショックを受けるだろう、そう思っていた。 だがしかし、やはり予想は予想でしかない。覚悟は覚悟でしかない。 「分不相応だってことは分かってる。こうしてこんなに近くにいられることさえ奇跡みたいなものだって。それくらい立場が違うことは理解してるんだけど」 でも駄目なのだ、とエイトは言った。 好きだ、と一度自覚してしまうともう駄目なのだ。歯止めが利かない。思わず追いかけてしまう視線を止められない。言葉を交わすだけで緩む頬を止められない。触れるだけで高鳴る胸を止められない。 その気持ちは何となく、分かる。まさしく、ククールがエイトに対して抱く気持ちと同じなのだから。 つまりは、彼も本気でミーティア姫に惚れている、とそういうことなのだろう。 「だから、俺は呪いを解いてさしあげるのが怖い。陛下や姫殿下が元の姿にお戻りになることは、すごく喜ばしいことだけど、姫殿下の顔をまともに見る自信は、ない」 だって俺は、と一度言葉を区切って、エイトはグラスを呷った。コトリ、とおいたグラスを握る手が微かに震えているのを、ククールはそっと無視する。 「俺は、あんなに清らかで、優しい人を……」 まるで、教会で己の罪を懺悔するかのように、エイトは噛み締めた唇の間から苦々しげに己の心情を吐露した。 「抱きたいと、そう思ってしまう。押し倒して犯したいと、そう思ってしまう」 再び注がれた酒を一口飲み込むと、エイトは「軽蔑、してもらっていいよ」と引きつった笑みを浮かべた。 その痛々しい表情に、ようやく固まっていたククールの心が動き出す。乾いて張り付いた喉をアルコールで潤し、なるべく平坦に、いつもと同じような声音になるように努力して、「するわけないだろ」と口にする。 「できるわけないだろうが。好きな奴とやりたいって思うのは、男だけじゃねぇ、人間として正常な欲望だろ。まあさすがに無理矢理どうこうしてやろう、とか考え出したら止めるけど」 「さ、すがにそこまでは……」 その言葉に、エイトは眉を潜めて否定する。それに「だったらいいじゃん」ときわめて軽く、ククールは言った。 「人を好きだと思う、好きな奴とやりたいと思う。普通だろ、それ。相手が姫だろうがシスターだろううが、関係ないって。オレとしちゃあ、そういった恋愛に一切興味がなさそうだったエイトくんも、ちゃんと男だったんだなって安心したくらいだ」 よくもまあ、とククールは喋りながら思う。こんなに次々と思ってもないことが言葉にできるものだ、と。前半はほぼ思ったとおりだが、後半は真逆だ。自嘲の笑みを形作りそうになった頬を叱咤して、にやり、と唇を歪めてみせる。いつもどおりの笑みになっているだろうか。 その努力はきちんと実っていたようで、エイトは不満げに頬を膨らませて「男だっつの」と言った後、ほぅ、とため息をついた。浮かべられた笑みは心底安堵したもので、思わずククールも笑みを浮かべる。自然に笑えた自分に小さく驚き、そして痛感する、彼がミーティア姫を好きなように、自分も彼のことが本当に好きなのだ、と。こうして完全に振られたにもかかわらず、彼の安心したような顔を見てほんの少しながらも喜ぶことができるのだから。 これで諦めたらいい。男に恋心を抱くなど不毛極まりない。その上、相手は別の女が好きだという。これで諦めないほうが馬鹿だろう。 そんなことを考えながら、残っていた酒を飲み込むと、「告白とかしねぇの?」と何の気なしに尋ねてみた。いや、おそらく自分を追い込みたかったのだ。完膚なきまでに振られたという事実を、望みがないという事実を自分自身に思い知らせたかった。 もしかすると自分が思っていた以上に、エイトへの片思いは精神的に負担になっていたのかもしれない。 ククールの言葉に、エイトは思い切り首を横に振った。今のククールがそれをやれば確実に悪い酔いしそうな勢いだったが、買ってきた酒がほぼなくなりかけているほど飲んでいるにもかかわらず、エイトはやはり平然としている。 「そもそも俺みたいな身分の人間が、直接口を利けるってことだけでもおかしいのに」 そういうものだろうか、とククールは思う。この旅に出て幾度か王族と話をする機会はあったが、エイトが言うほど雲の上の人間とも思えない。 告白なんてとんでもない、と言うエイトは、「それに」と続ける。 「振られると分かっててコクるのも馬鹿みたいじゃん」 「それは……直接言ってみないことには分かんないと思うけど」 少なくとも性別的には問題ないのだから、と自嘲めいた思いを隠したククールの言葉に、「そうかもしれないけど」とエイトは小さく首を横に振った。 「いいんだよ、俺は。側にいられるだけでも幸運だと思ってる」 エイトの言葉に、ククールはこみ上げてくる笑いを必死で堪える。 その幸せがいとも簡単に崩れてしまうことを、エイトは知っているだろうか。 ククールの小さな幸せが、彼の言葉によって一瞬で崩壊してしまったかのように。 エイトのその幸せがいつか、一瞬で崩れ落ちてしまう日がくるのだろうか。 そんな日がこなければいい、とそう思っているのか、それともそんな日を待ち望んでいるのか。 心の中に渦巻く感情をうまく整理できず、ククールはすべてを押し込めるかのようにぐ、とグラスの酒を呷った。 ←2へ・4へ→ ↑トップへ 2008.04.13
|