キミの笑顔 ― monochrome ― 8 窓から差し込む光の筋にどうやら夜が明けていることに気付く。まだぼんやりとした意識のまま、エイトはぱちぱちと目を瞬かせた。素肌に直接纏わりつくシーツが心地いい。 「…………俺、服は……?」 思わず呟いた声が自分のものとは思えないほど掠れており、そのことにも疑問を抱く。 昨日の夜何かあっただろうか、と考えながら体を起したところで、カチャリ、と扉の開く音がした。 「お、目が覚めた?」 その声に視線を向けると、自分の部屋でシャワーでも浴びてきたのだろうか、濡れた髪をタオルで拭うククールが笑みを浮かべていた。彼はズボンだけを履き、上半身には何も身につけていない。色素の薄い彼の肌を見やって、ようやくエイトは昨日のことを思い出した。 「! お、俺……、っ……!」 みるみるうちに赤くなっていくエイトを眺めていたククールは、予想通りの反応に思わず吹き出してしまう。 「体は大丈夫か? 一応ベホイミ連発しといたけど?」 ベッドに腰掛けながら尋ねると、彼は立てた膝に自分の顔を埋めながら「だい、じょうぶ、だと思う」と返してくる。傷自体はひどいものはなかったし、ホイミでも十分だっただろう。おそらく今体に残っているものは、回復魔法では癒しきれない疲労と筋肉痛ぐらいではないだろうか。 「なら良かった。動けるようなら風呂入ってもう一眠りしたらいい。今日はどうせ休みだろ。オレも戻って寝るし」 耳元まで真っ赤に染め、まともにククールへ視線も向けられないらしい彼の姿に思わず手が伸びる。拒否されるかもしれない、と恐れながら、ぽんぽん、と昨日までと同じように頭を撫でた。しかしエイトは「うぅ」と小さく唸るだけで、振り払おうとも嫌がろうともしない。 そのことに安堵するべきなのか、それとも絶望するべきなのか。 昨夜、エイトを抱いた。 卑怯な手だった、と自分でも思う。慰める、などと綺麗な言葉で飾り立ててみても、結局は弱みに付け込んだだけ。 彼は後悔、しているのだろうか。 そう思うが直接尋ねるだけの勇気がククールにはない。いくら振られて傷ついていたとはいえ、男に抱かれるなど本来ならありえないことだろう。後悔していないほうがおかしい。 詰られても文句は言えないが、先に謝罪を口にするとまたエイトが気にしてしまうかもしれない。彼の性格を考えると、自分が誘ったようなものだ、と考えている可能性だってある。 結局気の利いた言葉など思いもつかず、ククールはただいつものように軽口を叩くしかできなかった。 「なんなら一緒に風呂に入ったあと、添い寝してやろうか?」 にやり、と意地の悪い笑みを浮かべて言った言葉に、驚いて顔を上げたエイトはぶるぶると首を横に振った。当り前の反応で、それを予測していたにもかかわらず少しだけ残念に思う。そう思った自分が滑稽で、自嘲の笑みが口元に浮かびそうになった。 しかしそんな素振りをまったく見せず、「じゃあゆっくり休めよ」ともう一度エイトの頭を撫でてククールは立ち上がる。 そのまま部屋を出て行こうとする彼を、慌てて引きとめる声。 「あ、あの……、ククール、ご、ごめん、俺……」 そのエイトの謝罪に、ずきり、と胸の奥が痛んだ。 もしかしたら、とククールは思う。 もしかしたら彼に怒って欲しかったのかもしれない。詰って欲しかったのかもしれない。顔も見たくない、と部屋を追い出して欲しかったのかもしれない。 しかしエイトはただ、すまなそうに眉を顰める。その表情に、ククールはより自分のしてしまったことの大きさを痛感する。 こぼれそうになったため息をこらえ、「謝られることなんてされてないけど?」と笑みを浮かべた。 「どっちかっていうなら謝るのはオレのほうじゃね?」 ククールの言葉にエイトは少しだけ考えて首を横に振った。反応に時間がかかったということは、そもそもククールが悪いと一欠けらも思っていなかった、ということなのだろう。 彼らしい、といえば彼らしい。 「じゃあいいじゃん。オレは気持ち良かったし。オレら、体の相性、いいのかもな」 そう言うククールへ、エイトは赤い顔をさらに赤く染め上げる。軽く睨んでくる彼へ笑みを返して、「犬にでも噛まれた程度に思っとけよ」と口にした。 「…………お前みたいな犬がいてたまるかよ」 ようやく普段の彼らしい言葉が返ってきたことに安堵する。「オレみたいにエッチがうまい犬?」と尋ねてやれば、「馬鹿じゃねーの!?」という罵声とともに枕が飛んできた。 くすくすと笑いながら拾い上げた枕を彼へ放り投げ、ククールは扉へ足を向ける。 「でもまあ、オレは気持ちいいこと大歓迎だし? 一人寝が寂しいならいくらでも相手するよ」 エイトなら大歓迎、と嘯きながら、逃げるように廊下へと滑り出る。 いや、「ように」などと曖昧なものではない。ククールは逃げたのだ。昨日の夜のことから、自分のしでかしたことから、そしてエイトから。 そのまま自室へ戻り、肩に掛けていたタオルを床へ落としてククールは大きくため息をついた。自分は自然に笑えていただろうか。自然に会話が交わせていただろうか。彼に何か気付かれていないだろうか。そう内省する。 もう一度、あの肌に触れたいという衝動を押さえ込むのが大変だった。ぐ、と握り締めた拳が震えているのに苦笑が零れる。 あれは夢だったのだ。 とても幸せな、夢。 もう二度とあんなことはないだろう。 決して触れることが叶わないと思っていたものに、一度だけでも触れ合うことができたのだ、これ以上を望んではいけない。 そう固く誓い、ククールはベッドへと倒れ込んだ。 目を閉じると、昨日の光景が蘇る。 白いシーツの上で乱れる四肢、荒い吐息に零れる艶やかな声、肌を伝う汗、触れ合った部分から伝わる温もり。歪んだ表情、不安げに潤んだ瞳。絡みつく熱、膨れ上がる欲望。 簡単には忘れられそうもないそれらに、ぐらり、と眩暈がした。 ←6へ・9へ→ ↑トップへ 2008.04.18
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