キミの笑顔 ― monochrome ― 9 エイトに対してああ言いはしたが、ククールはもうこれ以上はないだろうと思っていた。エイトもそのつもりであっただろう。互いに一度だけの行為だと、そう思っていた。 それなのにどうして、とククールは思う。駄目だ、と頭の片隅で誰かが叫んでいるが、それに耳を傾ける理性はもう残っていない。 ドルマゲスを討ち取ったのが昨日のこと。解けない呪いに首を傾げながらもサザンビークにて休息をとり、今朝、ゼシカが杖とともに行方を晦ませた。 結論として、呪いの元凶はドルマゲス自身ではなくあの杖であるだろうこと、そしてゼシカはその杖に操られているのではないだろか、ということ。強引に関所を破壊して行った女の容姿がゼシカそのものであったことから、そう考えるのが自然だろう。リブルアーチと呼ばれる石の町へたどり着いたエイトたちはとりあえず、ゼシカの行方を追うことを目標と定めた。 「呪いが解けなくてちょっとほっとしてる自分が物凄く嫌いだ」 その夜、同室となったククールへ、エイトがそう呟く。 「これでまだしばらくはこうして旅ができるって安心した。まだしばらくは側にいられるって」 呪いが解けてしまえば彼の想い人は一国の姫として、あの国の王子と婚約するだろう。それが少しだけ遠のいたことに安心したのだ、とエイトは苦々しげに語る。 「俺がこんなんだから、ゼシカもいなくなっちゃったのかもしれない」 「いや、それは関係ないだろ」 「でも。ちゃんと考えてれば。倒したあとのこととかに、気を取られてて、杖のこととか、そういう注意が全然できて、なかった」 だから、とエイトは自分を責める。 だからゼシカは杖に呪われてしまったのだ、と。 自分さえしっかりしていれば、きちんと注意をしていればこんな事態は防げたはずなのだ、と。 ぐ、と血の気を失うほど握りしめられた拳が痛々しい。 「俺なら呪いに掛からないし、俺が杖持ってれば、」 「エイト、もういいから」 ベッドへ腰を下ろしたエイトは、ククールの言葉を否定するように首を横に振って顔を覆う。そんな彼の隣へ座り、ククールは一瞬だけ悩んだが結局彼の腕を取った。この状態のエイトに触れるな、というほうが無理な話だ。 心の底から好きだと思える相手が苦しんでいる姿など、悲しんでいる姿など、見ていたいはずがない。 「エイトが悪いわけじゃないだろ」 「でも、杖に一番詳しかったの、俺だし、だから、俺が」 「いいからもう黙れ」 普段の彼からは考えられないような弱々しい言葉。自身を抉るかのように吐き出されるそれを聞いていたくなくて、思わずその口を自分の唇で強引に塞いだ。 「ッ、ん……」 薄いけれど形のいい唇を十分に堪能し、互いの唾液を混ぜるように舌を絡める。口内の唾液を大人しくこくり、とエイトが飲み込み、その喉の動きにさえ煽られた。 「エイトが悪いわけじゃ、ない」 ゆっくりと唇を離したあと、もう一度、言い聞かせるようにそう言葉にする。 しいて言うならばパーティメンバ全員の注意不足だろう。エイト自身が言うように、あの杖の危険性を知っていたはずの彼はそのことに気づくべきだった。他のメンバもエイトから杖が封印されていたこと、それをドルマゲスが奪い去ったことを聞いていたのだから、気づいてしかるべきだった。軽々しく触れていいものではなかったのだ。 「連帯責任ってのが普通だろ」 何もすべての事柄をエイト一人に押し付けよう、など誰も考えていない。おそらく今現在呪われているのだろう彼女もまた、エイトのせいだとは思ってもいないはずだ。 ゼシカなら大丈夫、と安心させるように囁く。 「あいつは強い女だ。そう簡単に死にはしない。けど寂しがってるだろうから、早く迎えに行ってやろう。な?」 ククールの言葉に、エイトは不安げに瞳を揺らしたまま小さく頷く。おずおずと伸ばされた手を受け止めながら、「お前が全部背負い込むことはないんだよ」と口にすれば、エイトは泣きそうなほど表情を歪めた。 その顔を見て、どれほどの不安が彼を襲っていたのかに気付く。 これだけ側にいながら、これだけ大事に思いながら、結局は彼のことなど何一つ分かっていなかったのだ。 忠誠を誓う王と姫の呪いを解かなければならない、城と、そこに住む人々の呪いを解かなければならない。ゼシカやククールがパーティに加わってからは、彼らの敵討ちに力を貸したいという気持ちもあっただろう。パーティを率いるものとして、皆の命を守らねば、という思いもあり、これ以上無関係の人々を殺させはしないという思いもまたあっただろう。 彼は優しいのだ。何の見返りも求めることなく、ただ周りにいる人を守ろうとする。その優しさが今こうして彼自身を苦しめている。加え、ここ最近はミーティア姫に対する失恋の傷もあった。 兵士という立場についてはいるものの、それでもまだエイトは二十年生きているかいないか程度の年齢なのだ。こんな小さな存在が今までそれだけのものを抱えてきていたというほうが驚きに値する。 この少年に、今までどれほど救われ、支えられてきていたのか。そのことに気付きすらしていなかった自分が一層腹立たしい。 彼の心の傷を癒すことはククールにはおそらくできない。きっと、できない。 ならばせめて。 自分ができるかぎりのことを。 ほんの一瞬でも彼がすべてのことから解放されるように。 何も考えずに済むように。 「エイト、もう考えるな。今は忘れろ、全部、忘れてしまえ」 ** ** 心が手に入らないのならせめて体だけでも、とはまさにこのことだ。ククールの腕の中で静かに寝息を立てているエイトを見やり、そう思う。心も体も手に入らないという以前と比べてどちらがよりマシなのか、ククールには分からない。 どちらも苦しい。 どちらも辛い。 それでも、一度手に入れてしまったこの温もりを簡単には手放せそうもないことが、何となく分かっていた。 一度だけならあれは過ちだった、と諦めきれたかもしれない。しかし、二度目があった。あってはならぬことのはずなのに、二度目が起こってしまった。 エイトの目が自分を見ていないことは分かっている。こうして二度、体を繋げてみたがやはり彼の想い人は別にいるというのを思い知らされるだけだ。 それでも、この手はもう離せない。 彼は優しいから、きっとククールがエイトのことを好きだと気付けば、こうして抱かせてはくれないだろう。たとえどれほど寂しくとも辛くとも、自分を好きだと思う人間を利用するような真似は、決してできないだろう。 この気持ちは絶対に隠し通さなければならない。その思いは以前よりも強くなってしまった。もしこれが知られてしまえば、この体の関係さえ失ってしまう。 もともと何かを失うことの多かった人生で、得ることを諦めている節がククールにはあったが、たとえ仮初の関係であったとしてもエイトを失うなどもう考えられなくなってしまっている。 「エイト……」 名前を呼んで抱く腕に力を込める。 「エイト」 好きだよ。 伝えられない想いを込めて、ただ静かに名前を呼んだ。 ←8へ・10へ→ ↑トップへ 2008.04.19
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