竜と人間の恋の歌・9〈Side-W〉 「そこまでにしておけ、ヴァン」 老年の男の声。ヴァンとウィニアたちの間に現れたその姿に、はっとなる。 「父さん……」 ウィニアの呟きにエルトリオが「マジで?」と小さく問いかけてきた。その彼にこくこくと頷いて答える。 「グルーノ長老!」 攻撃の構えを崩さずに叫んだ彼を、ちらりと一瞥しただけで黙らせてしまう。たとえ年を取っていたとしても、長老の一人として里を取りまとめる父の力はまだ現役だ。 「ウィニアよ、里に戻れ」 現れたグルーノはそう静かに告げた。それはヴァンのときのような激しさはないものの、抗えない何かを纏っている。 きゅ、と握られた手に力が込められた。暖かな、愛しい人間の手。 どうしてこの手を離さなければならないのか、ウィニアには全く理解できない。 「嫌……。エルトと、離れたくない」 「ウィニア」 「父さん、お願い! 私に、里を捨てさせて」 里の閉鎖的な空気は嫌いだったが、優しい父は好きだった。ヴァンだって、人間を見下すところは多々あったが、それでも普通に話す分には理解のあるいい友人だったのだ。 たとえどんなところであろうと、竜神の里はウィニアの故郷。もう二度とその場所へ戻れないということは酷く辛いことだが、一度手に入れた半身を切り離すなどウィニアにはできないことだ。 しかし娘の悲痛な願いも、父は「ならぬ」と一言で切り捨てる。 「人間と竜神族が共に生きたところで、後々辛いのは残されるほうじゃ。辛いと分かっているのに止めぬ親などおるまい」 父の言葉にウィニアはただただ首を横に振った。 何度も言っている、その程度の覚悟なら当にした、と。どうして彼らはそれが分からないのか。それが叶わぬならこの場で命を捨てるとまで言っているのに。 ウィニアの視線を受け止めたグルーノは、それでも静かに首を振る。 「わしなら、お前を死なすことなく、その若造とあの国を滅ぼせる」 ヴァンには無理だろうがの、と彼は笑いながらそう言った。 軽い口調ではあるが、ウィニアには分かる。父にはそれができる、と。長老という役についているだけあり、父の力は本物だ。その半分も生きていないヴァンやウィニアなど、足元にも及ばないだろう。隣に立つエルトリオの体が軽く強張った。彼も気づいているのだろう、父にはそれができる、と。自分ではそれを止められない、と。 「すべてを失って里へ戻るか、そやつらを生かしたまま里へ戻るか。 ウィニア、お前に選べるのはこのどちらかだけじゃ」 絶望的な二択。 どちらを選んでも彼とは共にいられない。 どちらも嫌だ、選びたくない。 ウィニアは目に涙を浮かべて、幼子のようにふるふると首を横に振る。 「まったく、困った娘じゃの。わしもこれ以上人間の世界にはいたくはない。 てっとり早く、連れて帰ることにするぞ」 ふわり、と空気が動いた。体格的にはヴァンに遠く及ばないが、かもし出す雰囲気は彼とは桁違いにすさまじい。その視線だけで並の人間はまずまともに立っていられないだろう。 だめだ、このままではエルトリオが殺されてしまう。 先ほどまではすぐに自分も後を追えばいいとそう思っていた。 しかし、父の前ではそれもできない。 自分だけが生きて、エルトリオが死ぬなんて。 「それは、駄目ッ!!」 握っていたエルトリオの手を離し、彼の前に両手を広げて飛び出した。 「絶対に、駄目。エルトを殺すなら、私も殺して」 「娘を殺せる父親がいるはずないじゃろうて。お前はわしと一緒に里に帰るんじゃ」 「嫌だ! 帰りたくないっ!」 「ならばその人間を殺すしかないの」 「駄目ッ!」 「ウィニアッ!」 父親の怒声にびくり、と体が竦む。グルーノは一人娘であるウィニアには常に優しかったが、それでも間違ったことをしたときにはしっかりと怒ってくれる良き父であった。ただ怒った時は死ぬほど怖く、怒られるたびに家を飛び出してはびくびくしながら帰ったものだ。 その父の怒りを一身に浴び、怖くないはずがない。体が小さく震えるのを止められない。 それでもここからは引けない。 この背中にいる人を、守りたい。 震えながらも父から目をそらさずにいると、不意に後ろから優しい腕が伸びてきた。 大丈夫だから、と宥めるようにそっと抱き寄せられ、強張っていた体の力が抜ける。 「このままウィニアさんを人質にして逃げてもいいんだけどさ」 背後の彼はこんなときだというのに、いつもと同じような調子でそう嘯いた。 「だってこのシチュエーション、どう考えてもおれが悪者じゃない? 『この娘がどうなってもいいんだな?』って体勢じゃん」 「…………『ふははは』って笑い声、要ると思う」 ウィニアが答えると、「ああ、それ必需」とエルトリオはくすくすと笑う。 「でもウィニアさんの親父さん、たぶんそれさせてくれないでしょ」 やはり彼は的確に相手の力量を計っている。頷いて答えると、「それにさ」とエルトリオは言葉を続けた。 「人質を取って逃げる悪役って結局やられちゃうよね。だったらさ」 きゅう、と抱きしめる腕に力が込められる。 「ウィニアさん、今は親父さんと一緒に里に戻って」 互いに生きてさえいれば。 死に別れさえしなければ。 もう一度出会える可能性はゼロではない。 「おれはまだ死にたくないよ。ウィニアさんにもう一度会える可能性があるのに、死ぬなんて絶対に嫌だ」 だからお願い、ウィニアさん。 彼の囁きはどこか痛々しげで、彼にとってもおそらく苦渋の末の言葉なのだろう。 「おれを信じて、待っていて」 忘れないで、おれはどこにいてもウィニアさんを愛しているから。 その言葉にたまらず、ウィニアは振り返って彼の首筋に抱きついた。 「私も。どこにいても、愛してる」 生死を違えどその気持ちは変わらない。ならば場所が変わる程度で変わるはずがない。 「けど、私は待たない。待つだけなんて嫌。私も頑張るから」 里でただ静かに彼を待つだけなどできるはずがない。二人で頑張れば、可能性だって倍に膨らむのだ。 涙に濡れたウィニアの頬を撫でながら、「さすがウィニアさん」とエルトリオは笑った。 「でも無理だけはしないでね。ウィニアさん時々びっくりするほどアクティブだから、おれちょっと心配」 そう言いながらエルトリオはそっとウィニアの腹部を撫でた。その仕草に、彼が察していることに気が付く。 言おうと思っていたのだ。今日。それを口にする前に、彼からの思いがけぬプレゼントがあり、タイミングを逸していた。 しかしいまそれをここで口にしても仕方がないだろう。言葉にせずとも、伝わっていることだってある。 「さ、もう行って? これ以上一緒にいたら本当に人質にして逃げたくなるから」 おれ、『ふははは』って笑い方、まだ上手くできないんだよ、と最後まで彼は彼のペースを崩さない口調で笑って言った。 離れたくない、離したくない。 それでも、今ここで手を離しておかなければ永遠に失ってしまう。 今ならばまだ、可能性が残っている。 再び会えるかもしれないという可能性。 彼と共に生きることができる可能性。 それだけは捨てたくない。 溢れる涙をぬぐいもせずエルトリオに背を向け、父たちのほうへと足を向けた。その腕を寄ってきたヴァンが強引に引いて行く。 「すぐに忘れる、あんな人間のことなど」 ヴァンの言葉など脳には留まらない。ただ、己の無力さに涙するだけだ。 転移魔法の光に包まれ、目を開けば里に通ずる道がある祭壇の上。少し遅れてやってきた父と幼馴染と、双方に挟まれるようにして里へと戻る。 「今日はもう休みなさい」 父に背を押されるようにして自室へ戻り、ベッドへと向かう。逃げることを危惧しているのか、側から離れようとしないグルーノがぽつりと呟いた。 「しかしあの人間は愚かしいの」 あの人間というのはエルトリオのことだろう。竜神族が人間を見下すのはよくあること、しかし今のウィニアにそれを言ったところで意味がないことは父も分かっているだろう。 「なぜ?」 小さく問えば、グルーノは「あの小僧」と眉を顰める。 「お前たちが消えた直後、わしに向かってメラゾーマを放ちおった。敵わぬと分かっておったろうにの」 『悔しいんだからこれくらいさせろ、バーカッ!』 そう捨てゼリフを残して、彼はさっさとルーラで逃げてしまったという。あまりのことに追撃もできずにグルーノも戻ってきたのだとか。 「ほんに、愚かしいの」 父は呆れたような口調であったが、ウィニアは笑いが止まらない。ベッドの中、シーツにうずもれるようにしてくすくすと笑いを零す。 あまりにも彼らしくて。 「子供の喧嘩、みたい」 ←8へ・10へ→ ↑トップへ 2008.12.17
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