竜と人間の恋の歌・5〈Side-W〉 長老の一人娘ということで一目置かれていた時期もあったが、ウィニアにはこれといった特技もなく、しいていえば魔法に関して鋭い程度。それ以上に致命的なまでに対人恐怖症であるため、近頃は家族以外とはまともに会話もしていない。しかしそれでもそう度々里を抜けては怪しまれる。そうことは分かってはいたが、だからといってここにいて楽しめるものもない。人間の世界へ遊びに行った翌日は、しばらく大人しくしておこう、と思うが、結局その我慢も三日と持たない。 この里は息が詰まる。 苦しくて、仕方がない。 里にいるほとんどの者はここから出たことがない者ばかりで、つまりは彼らが知っていることはウィニアもまた知っていること。知っていることを次から次に重ねたところで、何か新しいものになるわけでもない。 初めて里を抜け出したときは、ただ知りたかっただけだ。この先に何があるのか。新しい何かを得ることができるのか。 けれど今はどうだろうか。 単なる好奇心だけなのだろうか。 分からない。 その分からないということも、ウィニアにとっては初めてのことで、それさえ楽しいと思ってしまう。 そのことで少し浮かれていたのかもしれない。 「最近、どこへ行ってるんだ?」 頻繁に出かけるようになった言い訳を、父に対してだけ「秘密の隠れ家に行く」と言っていた。家族以外に自分の行動を気にかける者はいないだろう、と思っていたのだが、どうやらそれは違っていたらしい。 昨日里を抜け出したため、さすがに今日は我慢しよう、と適当に里の中をふらふら歩いていると、不意にそう声を掛けられた。突然のことに驚いて思わず逃げようとすると、「逃げるな」と腕を掴まれる。 強引な仕草に一瞬頭がパニックになった。 その隙を見計らったかのように、肩を掴まれ体を反転させられる。 「お前、人見知りが激しくなったんじゃないのか?」 そう言ったのは、よく見知った顔だった。 「あ、なん、だ。ヴァンか。びっくりした」 彼も立場的にはウィニアと同じ、長老の息子である。生まれた年が近かったため、彼とは比較的付き合いがあった。ほっと安堵の息を吐くと、呆れたようにため息をつかれる。 「なんだ、じゃない。俺にまで怯えるなよ」 「……だって、突然だった、から」 たとえよく知った相手であったとしても、突然話掛けられたら驚いてしまう。それはきっと誰だってそうで、自分は人より少しリアクションがオーバーなだけだ。それに最近はここまで強引に話をされたことがなかったのだ。彼はどんなときでも優しくて、静かにウィニアの隣に来てくれるような人だから。 ふと、思い浮かんだその笑顔に幾分落ち着きを取り戻し、「それで、何?」とウィニアは目の前に幼馴染に尋ねた。ここまで強引に立ち止まらせたのだ、何か用があったのだろう。 そう思っての言葉だったのだが、彼は再び大きく息を吐き出す。 「始めに聞いただろうが。最近よく出かけてるみたいだけど、どこに行ってるのか、って」 そういえば、そんなことを言っていた気もしなくもない。驚いたせいでその言葉がするりと脳から落ちてしまったらしい。 「……秘密基地」 「だからそれはどこだ?」 「秘密基地だから秘密」 当然のことを口にしただけなのに、どうしてかヴァンはもう一度ため息を零した。 「ウィニア、そもそもお前、秘密基地って年じゃないだろうが」 「年、関係あるの?」 「ある。そういうのは子供のときだけの遊びだ」 きっぱりと言い切られてしまうと、彼にそんなつもりはなくてもウィニアの全てを否定されてしまったかのようで悲しくなってくる。 しゅん、と俯いてしまうと、その頭をぽん、と撫でられた。 「お前は人と話せるほうじゃないんだから、あんまり出歩くなよ」 いいな、ともう一度頭を撫でられる。 その言葉を聞きながら、ふと、思った。 彼なら、どんな風に頭を撫でるだろう、と。 その手のひらの温もりを感じてみたい、と。 そう思った。 その希望は、思いのほか早く叶えられることになる。 「っ、ど、うしたの、その怪我……」 ヴァンと会話をした日からどうも彼の視線が気になって、なかなか里を抜け出すことができなかった。ようやく外へ出ることができたその足で、いつもの山へ飛ぶと、今日は珍しくエルトリオが先に来ていた。 だが、彼は腕や腹に酷い傷を負っており、一人でそれを手当していたようだったのだ。 あまりの怪我に慌てて駆け寄ると、彼はいつものように「こんにちは、ウィニアさん」とにっこりと笑う。 「こ、こんにちは、エルト。……って、ねぇ、挨拶してる、場合? それ、その怪我……」 思わずいつものように言葉を返すが、それどころではないはずだ。しかし当の本人はあっけらかんとしており、「大丈夫、大丈夫」と手を振って笑った。 「これくらいじゃ死なないし。包帯で薬草巻いとけば治るよ」 言いながら器用に傷の手当をしていく。その手つきからしてどうやら慣れているらしい。確かに彼の言うとおり、今すぐ死に至るという傷ではないが、それでも見ていて痛々しいに違いはない。 「エルト、ねぇ、治していい?」 無断で魔法をかけてはまずいと思い、魔力を集めながら一応尋ねてみると、彼はウィニアを見上げた後、「そうか、ウィニアさんは治癒魔法が使えるんだっけ」と口にする。 「おれ、実は全然なんだよね。そっか……じゃあ、お願いしてもいい?」 頷いて答える代りに呪文を唱えた。 「ウィニアさんにベホマしてもらうの、二回目だね」 嬉しそうに彼はそう笑う。 そういえば、一番はじめにエルトリオがここに現れた時も同じ魔法を使った覚えがある。 「おー、すごい、全快。さすが! ありがとう、ウィニアさん」 たった今自分で巻いた包帯をくるくると取りながら、エルトリオは嬉しそうに言った。そんな彼に照れながらもふるふると首を振る。これくらい、自分にはどうということもない。彼の役に立てたのならそれだけでいい。 「でも、何でそんな、怪我」 今までこんな姿で現れたことは一度もなかった。そもそも優しい彼のこと、いつもならばウィニアに心配をかけるような姿を見せたりはしないだろうに。 尋ねると、「うん、ちょっと欲しいものがあってね」と返ってきた。 「それを取りに行ってたんだけど、まあ相手が強くてさ。爬虫類のくせに。ああこりゃまずいと思って、咄嗟にルーラ唱えたらここに飛んで来てさ。おれ、もともと攻撃魔法専門だから、あまりルーラとかも上手くなくて。とりあえず適当に手当だけして帰ろうかなって思ってたらウィニアさんが来てくれたの」 「来てくれてありがとう」とエルトリオは満面の笑みで礼を述べてくる。ウィニアはただ偶然やってきただけだ。彼の危機を感じ取って飛んできたわけではないのに、そこまで感謝されるいわれはない気がする。 そう思い俯いて首を振ると、ぽんぽん、と頭を優しく撫でられた。 「いいの、おれが嬉しかったんだから。お礼を言わせて?」 もう一度「ありがとう」と言われ、その笑顔に頬が赤くなるのが自分でも分かった。 お礼を言われたらなんと返すのだっただろうか。機能を停止してしまいそうな脳をフル回転させて考える。そう、お礼を言われたら返す言葉。 「ど、どういたし、まして」 なんとかそれだけを返すと、まるでよくできました、とでも言うかのようにもう一度頭を撫でられた。 その感触が、てのひらの温かさが嬉しくて。 思わず笑みが零れた。 「え? 秘密基地?」 彼の体の傷がほとんど治っていることを確認して安堵したところで、不意に幼馴染との会話を思い出して尋ねてみた。すると少しだけ考えた後、彼は「おれは、年なんて関係ないと思うけど」と口にする。 「ていうか、いくつになっても必要だよ、秘密基地」 「……必要なの?」 さすがにそこまでは思っていなかったが、エルトリオは至極真面目な顔をして頷いた。 「だっておれ、今でも三つか四つくらいあるよ? 最近はここ以外はあまり行ってないけどね」 「ここも、秘密基地?」 その言葉に思わずそう尋ねると、「もちろん」と返ってくる。 彼も同じようにここを秘密基地だと、そう思ってくれていた。それだけでこんなにも嬉しくなる。基地と呼ぶには設備が整っていないが、ここには他の場所にはないものがあるのだ。 「今度ほかの基地にも連れて行ってあげるね。ウィニアさんが良かったら、だけど」 そういえばここで会うようになってしばらく経つが、ほかの場所へ行ったことは一度もない。今までならこの場所以外にも、人間の生活を観察するポイントへ行っていたのだが。 彼の言う秘密基地とはどんなところなのだろうか。 「あ、でもあんまり人間の多いところは駄目なのかな。耳でバレちゃう?」 やめておいたほうがいいのかな、という彼の言葉に慌てて首を横に振った。 「隠せば、大丈夫。行きたい、行ってみたい」 その場所をこの目で見てみたい、その空気を肌で感じてみたい。 衝動のままそう答えると、エルトリオは「じゃあ一緒に行こうね」と嬉しそうに笑みを浮かべた。 ←4へ・6へ→ ↑トップへ 2008.12.17
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