竜と人間の恋の歌・6〈Side-E〉 「エルト、すごい! 水、こんなに、いっぱい!」 「あれ? ウィニアさん、海って初めて?」 久しぶりに時間が取れたため、この間約束したとおり、彼女をいくつかある秘密基地に案内することにした。秘密基地、というより隠れ家、逃げ場所といった意味合いの強い場所だが、それでも秘密基地、と呼んだほうが何より響きがいい。 いつだったか、トロデーン領を視察に来たときに見つけた海岸線。端の岩場のほうは人気もなく、絶好の隠れ場所になる。ここならばポルトリンクからすぐ近くにあるため、ルーラでも来やすいのだ。 はっきり言おう、秘密基地に案内するというのは体のいい理由づけで、単純に彼女とデートがしたかった、ただそれだけだ。 海を見てはしゃぐ彼女へそう尋ねると、「飛んでる時には見てたけど、近くは初めて」と返ってきた。人見知りの激しい彼女は、人が来るかもしれない場所に降りることはできなかったのだろう。結果、山奥深くに下りるしかなく、海には近づけなかったということか。 「うぇ、ほんとに辛いっ……」 「あはは、海水舐めたの? そりゃ辛いよ。海だもん」 眉を寄せて舌を出すウィニアへそう笑って返す。本当に、と言うことは知識としては知っていたのだろう。こうしてつきあうようになって気がついたが、彼女はどうやら知っていることでも一度は体験しておかないと気が済まない性格らしい。自分で感じてようやくきちんとした知識として脳へしまっておくようだ。知識だけでものを語る人間よりも数倍好ましい性格だと思う。 「何で塩水?」 「んー、岩石に含まれてた塩が溶けだしてるらしいけど。海水の起源ってまだ明確にはなってないんじゃなかったかな」 うろ覚えの知識でそう口にすると、彼女は「へぇ、そうなんだ」ともう一度海へと視線を戻した。 「そういえばどこかの国の昔話に塩をふく臼が沈んでるからだ、ってのがあった気がする」 「臼?」 「そう。その臼がずっと塩を吹き続けてるんだって」 昔話だよ、と言うと、彼女は「でもそうしたら」と少し考えて口を開いた。 「少しずつ塩辛さが、ひどくならない?」 「うん。実際塩分濃度は年々濃くなっていってるらしいよ」 これもまたどこぞの本より得た知識を伝えると、「嘘」と彼女は驚いたように目を丸くした。 「おれが実際に調べたわけじゃないから嘘かどうかは分からないけど」 正直にそう答える。それでも彼女は「エルトはいろいろ知ってるのね」と笑った。 「私は何も、知らないから」 靴が濡れるからせめて脱ごうね、と声をかけると、脱いだ靴を大胆に砂浜へ放り投げて、ウィニアは波打ち際を歩く。ぱしゃり、と素足で海水を蹴りあげて、「知らないことが、多すぎる」と彼女は残念そうにそう呟いた。 「おれだって、知らないことはいっぱいあるよ?」 海水が塩辛い理由だって正確なことは分からないし、年々その濃さが増しているのが本当かどうかも分からない。 「ウィニアさんの好きな色だって好きな食べ物だって知らないし、スリーサイズだってまだ教えて貰ってないし。ね?」 いっぱい知らないでしょ、と笑うと、顔を赤くしてこちらを睨んできた。 「知らないことはこれから知っていけばいいんじゃないかな。さすがに赤色は何で赤って言うのかって聞かれたら答えられないけど、美味しいお昼ご飯を出してくれる場所くらいならおれでも教えてあげられるし」 空を見上げるとちょうど太陽が昼近くの位置にいる。今日は朝から出歩いているので、そろそろお腹も空く時間だろう。 海水から足を引いた彼女は、風の魔法だろうか、足を乾かして靴をはくとエルトリオの横に並んで小さく「色はオレンジ。食べ物はチーズが好き」と呟いた。 「…………スリーサイズは?」 「秘密!」 竜神族も人と同じ食事を取るらしいことは事前に聞いていたので、とりあえず人の少なそうな村のレストランへ彼女を案内した。もちろん以前自分で訪れたことのある場所で、味のほうは問題ないはずだ。人間と竜神族とで大きく味覚が違わなければいいが、と心配していたが、とりあえずそれは杞憂に終わり、村での食事は彼女も気に入ってくれたようだった。 しかしいくら人の少なそうな場所とはいえまったくの無人というわけでもなく、彼女の尖った耳はバンダナで隠してある。 空腹を満たし、食後のお茶をゆっくりと楽しみながら次はどこに行こうかと相談する。 「今度はお弁当持って外で食べようね」 そのほうが、彼女も知らない人に怯えることもないだろう。そう思って言うと、「じゃあ、お弁当、作る」と返ってきた。 「え、いいの?」 驚いて尋ねると、彼女は小さく頷いた。 「でも私、人間の料理、あまり知らない」 「食べるものは同じなんでしょ? だったら全然OK! 問題ナッシング! つか、彼女の手作り弁当にケチつけるやつは男じゃないよ!」 思わず勢いづいてそう言うと、ウィニアは驚いたように目を丸くして首を傾げた。 「……私、彼女……?」 「え? あれ? だめ?」 同じように首を傾げて尋ねると、彼女は慌てて首を横に振った。その仕草を見て我に返る。 「そっか、おれ一人で舞い上がっちゃってた」 会話をする距離が徐々に縮まって、隣に座れるようになって、面と向って話ができるようになって、今日にはこうして一緒に出かけることもできて。そのことが嬉しくて、そう言えば彼女には何も伝えていなかったことを思い出す。 伝えずとも分かる気持ちもあるだろうが、それだって言葉は重要だ。「うん、じゃあ改めて」とエルトリオはこほん、と軽く咳払いをした。 真正面から見つめてしまうと彼女が逃げてしまう可能性があるので、少しだけ視線をずらして言葉を紡ぐ。 「ウィニアさん、おれを彼氏にしてください」 お願いします、と頭を下げると、しばらくの静寂ののち、「ふふっ」と笑い声が耳に届いた。 「普通は、逆じゃない?」 『彼女になってください』でしょう? そう彼女は笑う。 「うん、でもおれが彼氏にしてもらいたいから」 こういうときの言葉など、深く考えていられない。思いついたままに出てきたのだから、きっとこれが自分の本心なのだ。 「してあげてもいい、けど、交換条件」 「おれにできることなら何でもするよ」 たとえできないことであったとしても、ある程度の無茶ならばやってのけよう。意気込んで答えると、ウィニアは綺麗な笑みを浮かべて言った。 「私を、彼女にしてくれる?」 その条件を呑まないはずがなかった。 手をつないで抱きしめて、キスをして体を重ねて。 人を愛しく思うという気持ちがどういうものであるのかを全身で理解した。 種族など関係ない。たとえ彼女が魔物と呼ばれていたとしても、きっと出会えば愛しただろう。 「さて、ここからが正念場」 恋人という枠におさまって、ただこれだけで満足していられるほど自分は子供でない。自分たちの間に立ちはだかる障害はかなりのもの。それが分かるくらいの常識は持ち合わせているが、だからといって彼女を諦めるほど理性的にはなれない。 とりあえずは父王をどうやって説得するか、だ。 最悪、国を捨てることになってもいい、とそう思う。 ←5へ・7へ→ ↑トップへ 2008.12.17
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