竜と人間の恋の歌・7〈Side-W〉




 最悪、里を捨てることになってもいい。
 というか、そうせざるを得ないかもしれない。

 竜神族の人間に対する嫌悪感はおそらく、彼が思っている以上だろう。それを人間である彼に伝えるのは憚られたし、自分もそう思っていると思われたくはなかった。
 隠れて人の住まう場所へ遊びに行っているだけでも罵られるだろうに、人間と深い仲になってしまうなど許されぬ事だ。

「どうせなら、追いだして、くれたらいいのに」

 今追い出されたところで行くあてなどない。彼にだって国がある。逃れられない身分がある。それでも、ただ人間であるというだけで相手を蔑む同族に囲まれて生活することに比べると、あてのない放浪の旅というのも悪くないと思えてしまう。
 ここ最近、彼と会っていないときはいつもこんなことを考えている。
 ほう、とため息をつくと、「どうかしたのか?」と声がした。

「父さん」

 ぽん、と優しく肩をたたかれる。彼の暖かなてのひらとは違う感触だが、それでも大好きな温もりだ。

「何やら元気がないの」

 体調でも悪いのかね、と尋ねられ、緩く首を振る。確かに体は少しだるいが、ため息の理由はそれではない。

「それじゃあ悩み事かね」

 と尋ねられ、「そんな、とこかな」と曖昧に答える。具体的なことを聞かれても答えられない。これはきっと誰にも言えない悩みなのだ。自分一人で解決しなければならないこと。
 そんなウィニアの表情を見てどう思ったのか、父、グルーノは「恋煩いかの」と頬を緩めた。突然の聞きなれぬ単語に、顔を赤くして父を見やる。娘のその反応に、「久しぶりに見たの、ウィニアの赤い顔」とグルーノは笑った。

「しかしその顔からすると図星じゃな。よいよい、若い時は存分に恋に悩め。わしも昔はずいぶんと悩んだもんじゃ。もっともわしの場合はモテ過ぎて困る悩みだったがの」

 わっはっは、と笑った父へ疑いの眼差しを向けると、グルーノは咳払いをして視線を明後日の方向へと向けた。どうやらかなり誇張があるらしい。

「まぁ、わしのことはさておき、ウィニア、その相手とは話はできるのかの」

 できるほう、だろう。今でも正面を向いての会話は苦手だが、それでもきちんとした文章を交わせるようにはなったし、軽い口喧嘩だってする。こくりと頷くと、「それなら話は早い」と父は笑う。

「その相手とゆっくり話しなさい。お前たちはまだ若い、時間はたくさんあるじゃろう。話すだけでなんとかなることも、案外多いものじゃて」

 そう言って自室に引き上げようと背を向けたグルーノは、不意に立ち止まって振り返った。

「ところでその相手、隣のヴァンじゃなかろうの?」
「……違う、けど、どうして?」

 何故いきなり彼の名前が出てくるのかが分からず首を傾げる。すると父は緩く首を振って苦笑を浮かべた。

「いや、何、あいつも報われんなと思ってな」

 ゆっくり悩め、と無責任なことを言って去って行った父の背を見やりながら、本当にいいのだろうか、とそう思う。

 悩むことはやぶさかではない。もともとこれは自分の問題だ。時間が許す限り悩んで苦しむつもりだ。
 しかしこの悩みを彼に話してもいいのだろうか。
 彼にだってウィニアと付き合うことによる悩みがあるはずだ。何せ彼は見えずとも王族の一員であり、しかも第一王位継承者、つまり世が進めばあの綺麗な城の主となるべき存在なのだ。

「王さまが、人間じゃない私と付き合ってちゃ、まずい、よね」

 やっぱり、と小さく呟く。
 きっと彼もこのことを悩んでいるはず。それなのに更にウィニアの悩みを話して余計苦しませたくはない。
 どうしたらいいのか、結局答えは出ないままで、ぐるぐると渦巻く思いが体の中に溜まってしまったかのように、体のだるさも一層増していった。



**  **


 どれだけ悩み苦しんだとしても、会えないと寂しいし、会いたいと思う。
 気分転換も兼ねて外へ出るともう我慢が出来なかった。そのままこっそりと抜け穴のところまで向かい、外へと飛び出す。 
 外の世界はどこまでも広く、青い。この世界を飛べば自分が抱えているものなど、至極小さなものに思えてくるから不思議だ。
 実際に地面に降り立てばまた重く大きなものとして圧し掛かってくるのだが。
 いつもの場所に降り立って、鏡を取り出して思いなおす。

 少し、頑張ってみよう。
 彼のいる場所がどんな所なのか。
 彼を自分のいる場所には案内できないのだから、せめて自分が近づけるように。

 ウィニアは臆病で人見知りが激しいが、一度決めると行動は早かった。すぐに移動魔法を発動させると、目的地を五キロ先に定める。エルトリオは具体的な目的地がなければルーラができないといっていったが、ウィニアは距離と方角さえ分かればなんとなく近い場所に飛ぶことができる。そもそも目に見えている場所に飛ぶのだ、彼女にはそれくらいわけのないことだった。
 次に目を開けると、国の城門が目の前に見える街道の真ん中に立っていた。白いフードで頭を覆い耳を隠すと、意を決してその城門をくぐる。いつも自分が遠くから見ていた町の中に今まさにいるのだ、ということを理解するのにどれだけの時間を要しただろうか。

「お姉さん、綺麗だね! どう、これ、買ってかない?」
「うちの野菜はおいしいよ! ほら、これなんか今朝取ってきたばっかだ!」

 並び立つ商店からはひっきりなしに客寄せの声が響く。今この国についたばかりだろうか、旅人らしき一団が疲れた表情で宿屋へ向かう側で、この国に住まうのだろう子供たちが一段となって駆けている。

 こんなに活気のある場所は初めてだ。
 エルトリオと出掛けるときも彼が気をつかって静かな場所ばかり選んでくれていた。それはそれで助かるし、今現にあまりの人の多さに倒れそうにもなっているが、それでもやはり体験してみないと分からないことがある。

「人間は、すごい」

 愚かだ、と同族はそう見下しているが、何が愚かなものか。こんなにも活気があり、こんなにも生きている。生きる、ただそれだけのことがどれだけすごいことなのか、きっと彼らには分からないのだろう。これのどこに見下す要因があるというのか。
 耳さえ隠していれば竜神族も人間と変わらない外見をしている。人ごみに紛れてしまえば異種族だとは分からない。それくらいに人間も竜神族も、似ているのだ。同族の中にいたってウィニアの対人恐怖症は変わらない、それならば種族が変わったところで同じこと。ウィニア一人がこの城下町に増えたところで、何か問題でもあるだろうか。
 たとえ同じ国に住んだところで、相手は王族。そう簡単に会える相手ではないが、それでもウィニアが里にいるよりも会う機会は増えるはずで。
 実行できるかどうかは置いておくが、その思考ができるようになっただけでも、思い切って来た甲斐があっただろう。
 ふらふらと店先を覗いて歩きながら、幾分足取りが軽くなっていることを自覚する。今ならば彼に会っても、案外軽い口調で今まで悩んでいたことを告げられるかもしれない。そうして。

「あ。そ、っか、私も、聞けばいいのか」

 今までは自分の悩みを話すことばかり考えていたが、ウィニアにも想像できるような悩みが彼にもあるはずなのだ。それを聞けばいい。そうして二人で悩めばいいのだ。

 さらにもう一歩進めたような気がして、自然に頬が緩む。
 浮上した気分に任せるまま、それでも時折掛けられる店主からの声に怯えながらぐるり、と町を見回っていると、不意に雑貨屋の店先で視線が止まった。

「綺麗……」

 キィホルダやブレスレッドが並べてある台の上に、シルバーチェーンのペンダントがいくつかぶら下がっていた。そのうちの一つにオレンジ色の小さな石がはめ込まれており、きらきらと太陽に反射している。

「気に入ったのかい?」

 尋ねられて驚いて顔を上げると、店主らしき女性が優しげな笑みを浮かべて立っていた。まともに視線が合い、耳まで赤くなるのを自覚する。

「でもこれは子供のおもちゃだよ。彼氏にもっといい本物を買ってもらいな」

 自分のところの商品なのに、そんなことを言ってもいいのだろうか。思わずきょとんとして店主を見つめると、「姉さんくらい綺麗なら彼氏の一人や二人、いるだろう?」と笑われた。

 二人だなんてとんでもない。

 顔を赤くしたまま慌てて首を横に振ると、彼女はさらに口を開けて笑う。

「あっはっは、今どき珍しい純情な娘さんだね!」

 その言葉にますます顔を赤くして俯いてしまう。
 逃げるタイミングを失ったまま、ただじっとキラキラと光るペンダントを眺めていると「ウィニアさん?」とどこか驚いたような声が耳に届いた。振り返ると、いつも会っているときとは比べ物にならないほどきちんと身なりを整えたエルトリオがそこにはいた。
 初めて見る王子としての彼に、思わず見とれてしまう。

「え? な、何で? 何でウィニアさん、ここにいるの?」

 エルトリオもずいぶん驚いているが、ウィニアだってまさか会えるとは思っていなかったので言葉が出てこない。それでも移動魔法を発動させなかったのは、おそらく驚きながらも彼が嬉しそうだったから。その笑顔を前に、逃げるだなんて、今のウィニアには考えられないことだった。

「おや、姉さん、エル王子の知り合いかい? それなら尚更だよ! ちょっと、エルトリオ王子! 綺麗な娘さんにこんなおもちゃのペンダント欲しがらせちゃダメだよ。もっといいものプレゼントしな!」

 一国の王子であるはずの彼へ、店主はずけずけと物を言う。おそらくそれは相手がエルトリオだからだろう。案の定彼は「おばちゃん、そんなこと言ってたら商売成り立たないでしょーが」と笑った。

「馬鹿だね、あんたは。こんな綺麗な子におもちゃが似合うかい。同じ女だから分かるんだよ。あんた王子なんだから、もっといいものが用意できるだろ」
「そりゃあ王子様ですからそれくらいはできますけどね!
 ウィニアさん、これ、欲しかったの?」

 未だ手にしたままだったペンダントを指さされ、ウィニアは慌ててその手を離して首を振る。欲しいと思ったわけではない、ただ光に反射して綺麗だと思っただけだ。
 たどたどしくそのことを伝えると、彼は「そっか」とにっこりと笑った。その笑みに思わずこちらも頬が緩む。
 しかしそんなほんわかとした空気を割くように、「兄上」という声が響いた。

「城へ戻って陛下にご報告さしあげることがあるでしょう」

 声のほうへ視線を向けると金の髪をした若い男がそこに立っている。エルトリオを兄と呼んだところから、彼もまたこの国の王子なのだろう。

「もう、うっさいな、クラビーは」
「ひとを変なあだ名で呼ぶのは止めてください」
「何でよ、いいじゃん。可愛いじゃん、クラビーって。ねぇ」

 相槌を求められ、咄嗟に頷いてしまう。

「ほら、ウィニアさんも可愛いって」

 満面の笑みでそう言う己の兄をどう思ったのか、彼ははぁ、と深いため息をついた後、「せめて場所を移動してください」と言った。

「往来の真中では目立ちすぎます。そちらのお嬢さんにもご迷惑がかかるでしょう」

 そう言われて気が付いた、確かにここは店の建ち並ぶ通りの真ん中だ。王子であるエルトリオの顔を知らぬ国民などいるはずもなく、遠巻きにこちらを見られている。あまりに多くの目がこちらに向いていることを自覚し、一瞬気が遠くなりかけた。

「わーっ! ウィニアさん、倒れないで! クラビウス、先に戻ってろ」
「兄上っ!」
「すぐ戻る。親父には女の尻を追いかけたとでも言っとけ!」

 彼の声と共にぐ、と力強い腕に抱き抱えられ、移動魔法の光に包まれた。


「ウィニアさん、大丈夫?」

 光の洪水が治まり恐る恐る目を開けると、そこはいつもの見なれた場所。

「ごめんね、おれがあんな場所で声かけちゃったから」

 そう謝ってくるが、彼が悪いところは一つもない。そもそもあの町へはウィニアが勝手に出向いたのだ。自分の性格を知っているならば足を踏み入れていい場所ではなかった。
 首を振って「エルトが悪いんじゃ、ないから」とウィニアは笑みを浮かべる。

「行ってみたかったの、エルトの国。生きている町、見てみたかったの。感じてみたかったの」

 ウィニアの言葉に、エルトリオは「そっか」と嬉しそうに笑う。

「行ってみて、分かった。人間も、竜神族も、同じ」

 そのことを肌で感じることができて本当に良かった。これでいつでも決心がつく。そんな思いを隠しての言葉だったのだが、何かを感じ取ったのか、エルトリオは少しだけ真剣な表情をしてウィニアの顔を覗き込んだ。

「エルト?」

 呼びかけには答えられず、頭を覆ったままだったフードを払われた。直接エルトリオの手のひらの温もりを感じる。そっと抱き寄せられ、右頬を包まれた。瞳を閉じると同時に軽く重なる唇。
 柔らかな感触が離れたところで、目を開ける前にするり、と鼓膜に滑り込んでくる声。


「もしウィニアさんが何かを捨てるつもりなら、おれも一緒に捨てるから。一人で捨てさせたりはしないよ」


 彼には分かっていたのだろう、ウィニアがどういうことを考えていたのか、が。
 だからこそ、あんな風に言ってくれた。
 その言葉があまりに嬉しくて。

 夢見ごちのままその日は自宅に戻ったが、この日のことをウィニアは死ぬほど後悔することになる。




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2008.12.17